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(後編) 話は突然だった。 それは桃子のあの小説の最終回の締め切りがもう数日というところまで来ていたときだった。 俺は都内の救急病院に駆けつけていた。 「本人かどうか確認してください。」 全身緑の防菌衣類に包まれた医者に言われた。 「運ばれてから1時間後にお亡くなりになられました。」 交通事故だった。 桃子が乗っている軽自動車とダンプカーが正面衝突したのだそうだ。 ダンプの運転手は比較的軽傷で済んだそうだ。 運転手は助け出されたとき、酒の臭いがしていたらしく、飲酒の疑いがあった。 軽自動車は跡形もなく大破。 「家族の人の所在がわからなくて。あなたに来てもらいました。」 警察官と思われる人物にその車の写真を見せてもらった。 確認しようにも自動車のフレームはめちゃくちゃにひんまがって車内が丸出しになっていた。 この様子では乗っている人間がどういう形になったのか、 原形をとどめているのかさえあやしかった。 俺は「霊安室」という表札がかかった部屋に通された。 中に入ると鼻から頭に抜けるような涼しげな線香の香り。 静かだった。 あの顔は忘れられない。 特徴のある顔。 美人というには程遠い 不細工な顔。 しかし、それさえ原形をとどめていなかったら、俺はいったい何を確認すればいいのだ。 恐る恐る彼女の顔にかけれらた布をゆっくりとはぎ取る。 綺麗だった。 ひどい事故で死んでいるというのに。 今まで彼女のこんな顔を見たことがなかった。 「化粧してあるんですよ。」 警官が言った。 「傷は見えないように縫ったり、特に顔の部分は注意して。」 俺は横に立っていた警官の顔を見た。 生気が無い青白い顔をしていた。 「女性ですから。」 「ねぇ。高田さん。それどうするんですか。」 黒いスーツで身を覆った俺に後輩の石橋が声をかけた。 石橋も黒いスーツに身を固めている。手には栗色の数珠を携えていた。 俺はA4サイズの大きさの茶色の封筒を抱えていた。 「決まってるだろう。」 別れの前、棺桶の中にその封筒をそっと入れた。 棺桶がかまどの中へと入っていく。 俺達は数珠を手に皆合掌をしてそれを見送った。 俺は控え室から出て、火葬場の外にいた。 まわりは森に囲まれて、空は抜けるように真っ青だった。 石橋が後を追いかけてやってきた。 「でも寂しいっスね。参列者が仕事関係の人達だけって。 それにそんなに人数がいるわけでもないし。」 「ああ。」 「桃子さん、いや篠原恵子さんには家族がいなかったなんて。」 「そうだな。」 桃子の家族の所在はわからなかった。 新聞で桃子の本名で訃報を出したが、結局誰もあらわれなかった。 − 桃子は一人で生まれてきたのだろうか。 − 俺はスーツの内ポケットからタバコを取り出すと、それに火をつけた。 「あ、高田さん。やめたんじゃなかったですか?」 俺は石橋の言葉など聞いてなかったかのように青い空を仰ぐと ゆっくりと煙を吐いた。 それは、火葬場の煙突からのびる煙と重なった。 「最近の火葬場ってあんまり煙がでないような構造に なっているらしいっスけど、ここ古いんスかねぇ。」 「さぁな。」 俺は眉の上を指で掻いた。 そのとき、煙のように心の中でもやもやしていたものが一瞬のうちに晴れてしまった。 「もしかして・・・」 桃子は原稿の締め切りに間に合わないとき 体調が悪いとか、 構想はできているので後は清書するだけだとか、その場しのぎの嘘を並べていた。 そのとき、決まって眉の上を指でぽりぽりと掻くのだ。 (つまり、あれは・・・・) あの薄幸の少女の小説。 別に目新しいものでもなんでもない。 現実でもありえる話。 もし、俺の実家のS県でそういう話があったら、すぐに町中の話題にもなるが ここ東京ではそんなものは何百万とある世帯のうちの些細な家庭の事情にすぎないだろう。 (最悪で汚い、どうしようもない人生を歩んできたんだから・・・・) 俺はいまになって自分の言ったことを後悔した。 あの場面を思い出す。 彼女はにやにや笑っていたのではなかった。 学生だった頃、日本に留学していたアメリカ人が 「日本人は悲しんでいるときも笑っているときも見分けがつかない。」 と言ったのを馬鹿にしたことがある。 そんなことがあるものか。 日本人の奥ゆかしさを知らない外国人だと。 「ところで高田さん。あの封筒の中身、桃子先生の最終回の原稿でしょう?」 俺は振り返って言った。 「そうだ。」 家族のいない桃子の身辺整理をしていたら出てきた封筒。 その表には小説の題名と「最終回」と銘打ってあった。 中身は見ていない。 「先生が期日を守って執筆を完了していたなんて珍しいですね。 それもこんな形になるなんて。」 「あれ、先生の遺作って形になりますよね。しかも最終回ですよ? 何でそんな大切なものを、一緒に燃やしてしまったのですか?」 俺はタバコをふかしたまま何も答えなかった。 「話題性十分じゃないですか。 今年一番のベストセラーになったかも。 それを公表するのは我々編集者の義務じゃないですか?」 俺は煙突から煙を吸い上げてゆく 雲ひとつない空を見上げながら口を開けた。 「あれは、売れないよ。」 「え?どうしてですか?中身見たんですか?」 「いや− ただ 」 あれは あの小説は− 最後は初めから決まっていた。 それは彼女のささやかな夢だったに違いない。 今の時流に決して迎え入れられることのない最終回。 だって、それは きっとハッピーエンドなのだから。 −(終)− |